◎ 劉暁波氏死去 恥ずべき弾圧の体制

2017年07月15日(土)朝日社説1 劉暁波氏死去 恥ずべき弾圧の体制
http://www.asahi.com/articles/DA3S13037468.html
>「私には敵はいない」

>その文章が広く記憶される。09年の法廷での陳述書として劉氏自身が筆を執り、のちに、出席できなかったノーベル賞授賞式で読み上げられた。取り調べの警察官や検事らにも敬意を表し、憎しみを全面否定した。

>これは寛容の精神である。自由な社会は、各人が自らの意思で責任をもって行動するのを原則とする。各人の選択は互いに尊重される必要があり、だから自由と寛容は不可分なのだ。

>ささやかな批判すら許さぬ不寛容の体制と向きあい、投獄間際にあって「敵ではない」と言い切るのは、究極の共産党政権批判といっていい。

>この文章を劉氏は、こう締めくくっていた。「中国で綿々と続いた言論弾圧の最後の被害者となることを望む」

>その願いに反し、弾圧は今も続いている。習近平(シーチンピン)政権下で厳しさを増し、人権活動家、言論人や弁護士が獄中にいたり監視されたりしている。

>民衆を敵視する政治は間違っている。劉氏が命をかけて紡いだ言葉と精神は、中国のみならず自由を愛する世界の人びとが厳粛に受け継ぐことだろう。


憎しみ・敵・党派心・忖度・独裁を全面否定し正義(公正)・人権尊重(寛容)・権力分立(四権分立)・直接民主主義・間接民主主義のみを求め続けた劉暁波氏の精神をこそ日本の報道人・公務員(特に議員と裁判官)は特に見習って欲しい。

支那人に、政権による言論弾圧・投獄を怖れず、正義(公正)・人権尊重(寛容)・権力分立(四権分立)・直接民主主義・間接民主主義を求め続ける人たちが沢山いて、

日本人に、法の支配・人権・言論の自由が既に(GHQ改革によって)保障されているにも拘わらず、違憲無効を違憲無効と明言断罪する程度の公務員・報道人・言論人すら(私の知る限り?)全くいない。

 

これは恥ずかしい。

今の日本人は今の支那人よりも実質的かつ本質的に劣って来ているという証拠であろう。

 

露骨に違憲無効立法であるのに「違憲無効立法」と日本の 「公務員」「報道人」から明言断罪されていない違憲無効立法:

特定秘密保護法
番号法
改悪派遣法
戦争法/平和安全法制
盗聴法
退位特例法
共謀罪法/テロ等準備等罪法/改悪組織犯罪処罰法