△ コウノトリ ともに生きる環境を

2017年07月16日(日)朝日社説2 コウノトリ ともに生きる環境を
http://www.asahi.com/articles/DA3S13039378.html
コウノトリは、多様な生き物がすむ生態系がなければ、定着も繁殖もできない。里山の自然が保たれていることを示す生きた鏡と言える。この取り組みを持続させ、より多くの個体が大空を飛び回る環境にしたい。

 

まるで人間みたい。


>豊岡では半世紀前から人工飼育に取り組んだが、親鳥の体がえさを介して農薬に侵され、卵からヒナがかえらなかった。そこで地元の農家が「コウノトリもすめる町に」と、無農薬・減農薬の農法を始めた。雑草を根絶やしにせず、収量が大幅に落ち込まない程度ならあってもいい、と発想を転換させた。

 

雑草はクスリではなく人間の手で根こそぎにすべきなんだろう。大変だけど、雑草との終わりなき戦いを人間は課せられているんだろうと思う。


兵庫県コウノトリの郷(さと)公園の山岸哲(さとし)園長は「人間は自分たちの都合で自然を改変し、多くの生き物を絶滅に追いやった。どうやって共生できるかをみんなで考えていきたい」と語る。

環境省の今年のレッドリストで、絶滅のおそれのある「絶滅危惧種」の動物は1372種で、2年前より35種も増えた。

>在来の多様な生き物を守るため、里山の自然を取り戻し、保つ。それは多くの生き物の生息地を奪ってきた人間の責務だ。

 

有史以来、多くの生物が(絶滅すべくして)絶滅してきたはず。

個人的には、というより、一人間としては、雑草とクモとゴキブリと蚊と蛾と蛇には絶滅してもらって全然構わないと思う。

 

朝日の論説委員は何故、相手が雑草やクモやゴキブリや蚊や蛾や蛇であっても、「在来の多様な生き物を守る」ことが「人間の責務だ」と言えるのだろうか。進化の歴史が淘汰の歴史であることを忘れている、あるいは、否定したがっているという無理があることは余りにも明らかであると思う。